サイト内検索

🄫10enpan


2013年2月17日日曜日

平壌の日本人寿司職人とホステス

文藝春秋の1991年7月号に掲載された、平壌の普通江ホテル近くの「国際クラブ」で1982年に働いたという「吉村慶子」さんの手記<「恩恵」にされたかもしれない私--北朝鮮「国際クラブ」元従業員の手記>には、日本で働けると言われてバンコクのパッポンストリートから連れてこられたタイ人ホステスや、金正日に似た人の話がでてきます。

タイ人ホステスを連れてきたのは「ササキさん」と呼ばれる日本語を話すものの「日本人のそれではな」い発音の男性だったとのことです。事実ならば、彼女らも拉致被害者なのかもしれません。

「吉村慶子」さんを宴席に呼んだ金正日に似た男性は、ラバウル小唄らしき軍歌や同期の桜、朝鮮民謡を歌っていたといいます。金正日の料理人で寿司職人の「藤本健二」さんの著書にも、金正日がラバウル小唄を歌っていたという記述があります。

金正日に似た男性は、金正日本人の可能性が高いと思われます。

「吉村慶子」さんの手記には、平壌に日本人の寿司職人がいたとの記述がありました。

「藤本健二」さんの著書には日本人のホステスがいた話がでてきます。タイ人女性が拉致同然で平壌に連れてこられた話も「藤本健二」さんの証言にはあります。

「藤本健二」さんがはじめて北朝鮮に渡った年も「吉村慶子」さんと同じ1982年だとすると、「吉村慶子」さんの手記の日本人の寿司職人は「藤本健二」さんで、「藤本健二」さんの証言にでてくる日本人ホステスが「吉村慶子」さんなのかもしれません。